治療中も復帰後のためにも——自分を折らないための、私なりのやり方
「生きる」を一番に決めたから——髪が抜けるのも、胸がなくなるのも、それほど怖くなかった。副作用と向き合う記録の力
診断ではⅡB期、ルミナルタイプ・HER2陰性タイプでした。「片胸全摘か部分切除か」などネットではいろいろ書かれていましたが、主治医からの提案は全摘。説明を受けてたくさん質問もしたので、自分でも驚くほど冷静に「全摘しかないな」と心が決まりました。
全摘手術の後には抗がん剤・ホルモン療法が続くことになりましたが、「髪も胸も、命が助かるなら安いくらいだ」と思っていました。
夫もこどももいるし、生き延びることが最優先だったので、迷いはありませんでした。自分の中で優先順位がはっきりしていたので、見た目が変わることに対してあまりネガティブさを持つことはなかったように感じます。
しかし、治療が始まると、薬剤通院治療後の3日間は毎回寝込むほどの吐き気やだるさが続いて、それなりにつらかったです。投与時の血管痛に耐えたあとは1日中つわりのような感覚が続きました。
治療を始めて2週間でシャワー中の抜け毛が増え始め、ウィッグをネットで探しました。
ネット通販でも試着サービスのあるものが多く、選びやすかったです。
また、SNS上でウィッグ使用や眉毛の書き方についてアドバイスをもらうこともできました。ウィッグをピンや結び方で上手にアレンジされている方、逆毛でつむじ部分を目立たなくさせるなど実践的な工夫をされている方もいらして、「ウィッグを使えば髪の毛のセットも簡単にできる」と新鮮味を感じながらウィッグ生活を楽しむことができました。
治療中は、ネット上で乳がんが完治した人を探して、そのような方もいる事実を心の支えにしていました。
体験談を読むときも、あえて「よくなった人」のコミックエッセイを選ぶようにしていました。悪い結果を連想しないように、自分が治ると思えるように——意識的に読むものを選んでいたんです。眠れない夜には、動画配信サービスで昔好きだったドラマやアニメを見ることもありました。結末がわかっていて、ハッピーエンドになる作品を中心に選んで。懐かしさも相まって癒されましたし、受け身で見られるのも治療中の体にはちょうどよかったです。
また、もともと手帳に小さな幸せを書き留める習慣があったこともあり、治療中の経過を日記につけることを続けました。いつかこの記録が誰かの役に立つかもと考えるとワクワクもしましたし、この習慣は自分の体調のパターンや感情の動き方を客観視することにもつながっていきました。
SNS上のちょっとした他人の発言で不安になってしまったときも、冷静になったり距離をうまくとったりすることに役立ちました。病気を食事やワクチンのせいにしてくるようなコメントをしてくる人もいましたが、医療従事者でも主治医でもない人の話は「自分とは違う話」と聞き流すことに決めて距離を取りました。
体調や外見に気を遣っていた分、悪気なく「治ったの?」と声をかけられて動揺したことはありましたが、「この人は、私が治ったんだという良い回答を期待して、私の回復を信じて、願って声をかけてくれている」と受け止めました。受け止め方でいくらでも自分の気持ちは穏やかになると思っています。
明るい未来を想像したかったから。治療中に“集中できるもの”を持つことが、前を向く力になった
仕事については、継続するか休職するかで悩みました。
人手不足の職場であったため急に穴を空けるわけにはいかず、がんの疑いの段階から上司に相談しました。長いこと勤務している会社で気心も知れた関係だったこともあり、十分に理解して協力してくれることになりました。産業医面談も行った結果、会社は柔軟に対応してくれて本来なかった在宅勤務環境が整い、仕事を続けながら治療を行うことができるようになりました。
会社に少しでも貢献したいのと、落ち込むよりも何か集中できるものがあったらいいな、と思っていました。それに、治療が終わった先の自分——仕事に戻った自分、もっと力をつけた自分——を具体的に想像したかった。その気持ちが背中を押して、新たに中小企業診断士試験に挑戦することにしました。
手術後1か月くらいのタイミングから勉強に取り組み、1次を独学で勉強、2次をオンライン講座で学んで、約10か月かけてストレート合格することができました。
治療で仕事が制限される期間があったのを前向きに役立てたいなとも思いましたし、明るい未来を想像したかったんです。
病気になったからこその自分の価値を出したかった、そんな気持ちがあって頑張ることができました。病気になって失ったものは大きかったけど得たものも大きい、そう言える自分になりたかったのだと思います。
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