再発しても、あきらめない。冷静でいられた理由と、家族との時間
※本記事は、患者さんの体験談であるため、具体的な病状や治療法なども出てきますが、あくまでも個人の例であり、病状や治療効果は、個人差があります。すべての患者さんへ適応できる状況、効果を示すものではないことを了承ください。
夫の言葉に救われ、イルミネーション、ジェットコースターにも!『抗がん剤治療中だからできない』とは考えないと決めた
家族の支えは大きいです。夫がもともと在宅勤務中心だったこともあり、育児や送迎は柔軟に分担してくれていました。乳がんが発覚してからは毎回の通院にも付き添ってくれるようになり、とても心強かったです。かなり負担をかけてしまったと思っていますが、夫は負担感を表に出さないタイプで、そのことも有難かったです。
抗がん剤で辛い時期に、意地悪な気持ちになってしまって、「自分が死んだらどうするか」と夫を試すように尋ねてしまったことがありました。
そうすると、「君が死ぬとは思っていないから、そんな質問には答えられません」と即答されて。
「死ぬと思っていない」のその言葉に強く救われた気持ちがしました。
きずなをもっと深めようと家族3人で過ごす時間を心掛けて増やすようになりました。抗がん剤治療期間中にもイルミネーションを見に行ったり、アミューズメントパークに行ったりしました。ジェットコースターにもウィッグ着用で乗りましたが、全く問題なく楽しめました。そんなチャレンジ経験も前向きな気持ちにつながっています。これからも、抗がん剤治療中だからできないことなんてないという意識でいたいです。
再発を冷静に受け止められたのは、感情の記録と、リアル・ネット両方のつながりがあったから
最初の治療が終了して1年も経たないときに全摘したほうの脇の奥に小豆粒くらいの新たなしこりに気づきました。主治医にも「まだ早すぎるから再発とは違うと思う」と言われるくらいのタイミングでしたが、私のケースは再発でした。再発病変は、初発病変とほとんど同じがんタイプで、主治医と相談のうえで治療が再開されることになりました。
再発がわかったときは、初発のときほど怖くはなかったです。
「最初の抗がん剤は効果が弱かったんだな」と私は受け止めていて、気持ちはあまり揺れませんでした。私の場合はSNSで支えになる交流が複数あったこと、治療日記のおかげで感情を客観視することがスムーズにできていたからこそ、冷静にいられたのだと思います。
再発を伝えたときに私の上司は自分ごとのように非常に落ち込んでいましたが、自分のために心をくだいてくれる人がいることが嬉しいと感じました。
病気になってから、人の助けのありがたみや感謝の念がどんどんふえているように思います。そう思えるようになっている自分のことも成長したと感じることが出来ています。
2人目も昇進もあきらめない。がんになって失ったものもあるけれども、得たものの話をしたい
がんと診断されたとき、「すべてあきらめなくちゃいけないのか」と思いました。2人目の子どもも、昇進も、あきらめないといけないのかと。でも今、どちらもあきらめていません。中小企業診断士の資格を取得したことで、これまで目の前の業務をこなすことに精一杯だった仕事を、もっと広い視点で見られるようになった気がしています。そのことが、昇進への意欲にもつながっています。
妊孕性(にんようせい)の温存も、自分で情報収集をする中でたどり着いた選択肢のひとつでした。抗がん剤治療で卵巣機能が低下するリスクがあると知り、卵子を温存することにしました。住んでいる県には補助制度があり、費用のほとんどを賄うことができたため、お金の心配なく踏み切ることができました。病院から積極的に案内されるわけではない情報も、自分で動けば見つかる。そのことを実感しました。
これから治療をするかたへのメッセージ
突然のがん告知で「なぜ自分が」という気持ちや、誰にぶつければいいかわからない怒り、悲しみが湧いてくる方もいらっしゃるかもしれません。私自身、夜の暗闇の中で死を連想してしまい、怖くて眠れない夜がありました。
置かれている状況も、価値観も、考え方も、人それぞれ違う。でも、死ぬことが怖くないという人は、そう多くはないのではないかと思います。
いつか必ず、別れは訪れる。長い闘病の末に逝く人もいれば、ずっと健康だったのに、ある日突然事故で命を落とす人もいる。 死に方は選べない。でも、生き方は選べる。
自分にはどうにもならないことを嘆き、悲しみの中で時間を費やすのではなく、「自分はどうしたいか、どうありたいか」と向き合って——皆さんが悔いのない、自分らしい選択ができることを願っています。
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