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2010年5月 仕事に復帰

個室入院、長引く治療。乳がん治療にはお金がかかる。フルタイムの仕事に復職し、生活が一変

私は仕事が大好きで、がんに罹患する前は余暇も「次の仕事の活力を生むためのもの」と割切っているくらい、常に仕事に全力投球でした。2010年5月にフルタイムの仕事に復職してからは、自分が乳がんになったこともあり一転、生活を大事にするようになりました。

復帰後の職場では入社して直ぐがんに罹患していることを伝えた

がんに罹患すると、それをどのように職場へ伝えるのか。思い悩む方が多いかもしれません。

自分が乳がんだと最初に判明した時、旅行会社の添乗員として働いていた私は、ツアーコンダクター課の課長と、ツアーをアサインしてくれる事務員の方に乳がんになったことを伝えました。海外のツアーに同行できないことをとても残念に思いましたが、乳がんであることの整理はついていましたので、サラッと言えました。その方に言わないと仕事に響くので、わりとすんなり伝えられたほうだと思います。逆に伝えなくても仕事上問題がない人には伝えなかったです。寄り添ってもらいたいという気持ちは全くありませんでした。

転職し、フルタイムの仕事につく。自己紹介のタイミングで、がん患者であることをサラッと伝えた

ただ復帰後の職場では入社して直ぐのタイミングで伝えていましたね。「乳がんになって前職を退職してーーー」という風に自己紹介のタイミングでサラッと。がん患者の方と日頃から接する職場だったこともあり、転職後はそもそも隠す必要ないなと思うようになりました。実はそれまで、がんに罹患したことを「悪いことをしてしまった」みたいな、ばつが悪いような感覚があったんです。でも全然そうじゃないですよね。悪いことでもないし恥ずかしいことでもない。同情されることでもない。女性の多い職場でもあったので「なんで辞めたの?」と聞かれる前に、自分から言っちゃおう!という気持ちでした。

食生活だけでなく「体にイイこと」をはじめた

医療費全体としては、治療全体を通して個室に入っていたため、1泊あたり1.5万円ほどのお金が追加でかかりました。入院日数も長かったため、それなりの金額に。自分の体を大事にしようと考えていたこともありますが、普段の仕事が添乗員でしたので、相部屋ですと人に気を遣いすぎてしまうところがあるんです。一人で静かに、治療に専念することにしました。病室には毎日家族が誰かしらお見舞いに来てくれましたし、日中は読書やテレビなど普段家で過ごすのとほぼ変わらない生活を送っていましたね。

働けなくなってからは傷病手当金として給与の2/3をいただいていましたが、がんになったからといって節約をはじめた訳でもないので、一人で貯めていた貯金はなくなってしまいました。生活レベルを上げたわけではありませんでしたが、食べものに気を使い始めたことが出費に大きく影響していると思います。食生活以外にもさまざまな「体にイイこと」にお金を使っていましたね。がんに罹患する前からの趣味にも変わらずお金を使っていました。今思うと自分の自由になるお金が欲しくて、仕事に速く復帰したいと考えたのかもしれませんね。

40歳で生命保険が満期に。41歳でがんに罹患し後悔

抗がん剤、手術後の放射線治療、ホルモン療法、分子標的薬とフルコースでさまざまな治療を行ってきましたが、治療費はわりとかかってしまった印象があります。当時在籍していた会社の健康保険組合は、ひと月の医療費自己負担額の上限が設定されていました。そのため、どんなに治療費が高額だったとしても上限額が決まっていたのは経済的に楽でした。

私は保険の知識も疎く、40歳で満期となる保険に加入していました。41歳でがんになってしまい、とても後悔しているのですが、この点、会社が手厚い高額療養費制度を設けていたため助かりました。

がんになって、仕事人間が一転、生活を大事にするようになったのも自分にとっては変化でしたが、2014年8月、結婚したのも大きな変化です。

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。
 

分子標的薬

仕事に復帰

結婚

観光学を学んだ大学を卒業し、旅行会社勤務時代は添乗員として年間200日以上海外に行く生活を送る。 がん発覚後、海外出張を辞め2ヶ月は事務所にて勤務。抗癌剤治療を始め、脱毛などの症状が出はじめたことをきっかけに退職し治療に専念した。2019年2月でがんになって丸10年。

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