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  • 大腸がん・大腸腫瘍

2015年3月 転勤

営業から内勤職へ異動、転勤も余儀なくされ家族との暮らし方に悩んだ

体調に波。罹患以前のような働き方が難しくなった

2015年3月、営業職から内勤職への異動に伴って大阪に戻ることになりました。

職場復帰はできたものの、私のためとはいえ、外出や残業ができないというルールが課かっていたり、自分の体調コントロールができないために上司とも仕事上のコミュニケーションが上手く取れなくなったり…。今まで通りにバリバリ働くことができないもどかしさに悩まされていました。

さらに付け加えると転勤先の熊本は営業に特化した支社。営業職の人員は決まっているのに、自分自身が営業としての価値を発揮できているとは思えず、このままでは同僚に迷惑を掛けてしまうのではないかと不安になりました。

そんな中、たしか2014年12月、上司から内々で異動の話を打診されました。内勤職への異動も可能だよと。時を同じくして産業医からも、異動を希望するのであれば自分からも人事に打診できますから希望があれば仰ってください、と言われていました。

内勤職への異動は大阪への転勤とセット。

もともと営業一筋でキャリアを歩んできた私は、1社目も現在勤めるこの2社目でもずっと営業職として勤務をしてきました。自分にとって営業の仕事は天職だったので、がんに罹患するまでは、まさか自分が他の仕事をするなんて思ったことはありませんでした。

正直なところ、かなり悩みました。内勤職への異動となれば大阪への転勤もセットです。個人的には住み慣れた土地でもあるし、両親や弟家族もいるので、住環境としては申し分ありません。骨を埋める覚悟で熊本に来たわけでもなかったので、大阪に戻って内勤職への異動もいいなと。

単身赴任か否か。家族との暮らし方をどうするかで悩んだ

自分の中で異動はほぼ確定として考えていましたが、問題は家族との暮らし方です。家族全員で大阪に戻るのか、妻と子どもを熊本に残して単身赴任の形で大阪に転勤するのか。この2つの選択肢でかなり迷いました。

子どもたちのことを考えると、転校してまだ一年。下の子は4月から中学生です。小学校の卒業式で、次は中学で会おうと言って別れているのを知っていたので、友達との関係性も考えると、一緒に大阪に戻ろうと強制はできませんでした。抗がん剤治療を受けている間に、子供たちが所属していたバスケ部の練習試合を見に行ったこともあるのでなおさらです。

自分だけの問題ならすぐに決断できても、家族のことを考えるとなかなか思い切ることができませんでした。最終的には家族全員での帰阪を決断したものの、時期的には制服の購入など入学準備は済んでいた段階。申し訳ないことをしてしまったという気持ちはありました。

転勤に伴い、大阪の病院で定期検査を受ける

実際に大阪に転勤が決まった時点では、抗がん剤治療も終わり経過観察中。診察の際に、主治医に転勤することを伝えたところ、「しっかりと検査してもらえる病院を選定してくださいね」と言われました。

大阪で定期検査を受ける病院の選定は、治療前に十分に情報収集していたので苦労しませんでした。ただ、定期検査のスケジュールを説明された後は、計画に沿って淡々と検査。主治医からの検査結果の説明も1、2分程度。熊本の病院と異なり通院患者も多いため、医師とのコミュニケーションに物足りなさを感じました。

検査結果自体は順調だったものの、何かあった際に熊本の主治医のように親身に相談にのってもらえるのか、気にかかる部分はありましたね。

 

 

がんを経験された個人の方のお話をもとに構成しており、治療等の条件はすべての方に当てはまるわけではありません。

新型コロナウイルスの影響によりテレビ会議を用いて取材を行ったため、写真は後日追加予定です。

Hatch Healthcare K.K.

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